洗い観音 (聖観世音菩薩石像)
洗い観音(二代目 平成4年~) 初代は後方厨子内 毎月18日開帳
水を掛けて洗ったところが良くなる とされる「洗い観音」は、本尊とげぬき地蔵尊の脇侍(わきじ)ながら広く信仰をあつめています。元々は江戸の大火事「明暦の大火」で妻を亡くした檀徒 屋根屋喜平次が供養に造立した石像ですが、水を掛けて洗い清めるお参りのかたちが自然に定着しました。初代は戦前から続く参拝によって摩耗したため、
後方の厨子内に隠退し、平成4年から檀徒 故 中堀義江氏寄進 彫刻家 故 八柳尚樹師制作による二代目に代わりました。それ以降はタワシでなくタオルや手ぬぐいなどで洗うようになっています。
初代洗い観音は、後方の厨子に収められており、毎月18日は朝から午後2時まで開帳しています。
【お願】開帳中は初代洗い観音に水をかけないようお願いいたします。
小僧稲荷 (こぞういなり)
洗い観音の右手にはコンクリート製の鳥居と、キツネ1対に護られた小さな御厨子に「小僧稲荷」が祀られています。
髙岩寺の土地・建物をお護りくださる「土地護伽藍神(どじごがらんじん)」として奉安し、毎月1・15日の朝のお勤めで、稲荷供養を修行しています。元日朝と2月の初午には神前で供養します。
髙岩寺には数々の火災や戦災を経てもはや正式な記録は残っていませんが、上野時代(1657~1891)、住職に可愛がられていたタヌキが住職の亡き後も寺を守護し、狼藉者がやってくると「三ツ目小僧」に化けて懲らしめた、という伝説があります。関係者が恐れをなしてタヌキを稲荷神として祀ったところ、三ツ目小僧は出なくなったということです。これが「小僧稲荷」と称される出自と思われます。(佐藤隆三『江戸傳説』より)