地蔵尊のはなし
(4700字)
髙岩寺二十八世
大法規雄大和尚
(だいほう きゆう だいおしょう)
『つれづれ草紙』
仏教タイムス社 昭和54年 より
(一)
「村のはずれのお地蔵さんは、いつもニコニコ見てござる」(童謡)とか、「石の地蔵さんは頭が悪い、頭がまるけりゃカラスがとまる」(静岡県三島市民謡「農兵節」)とか、歌にうたわれ、俳句や川柳に詠まれている地蔵尊は、日本全国の寺院、路傍から山の中にまで、いたる所にまつられています。これほど多い仏さまはほかにありません。
ひとびとに深く親しまれ、拝まれるお地蔵さまには、実にいろいろの名まえがつけられています。私が住んでいる東京都豊島区内の寺院にも、延命地蔵をはじめ、子守地蔵、子育地蔵、お茶あがれ地蔵、道しるべ地蔵などがまつられていますし、おはつ地蔵、豆腐地蔵、縛られ地蔵、歯痛地蔵等々、枚挙にいとまがありません。地方にいくとさらにバラエティに富み、中には「はらみ地蔵」といって、おなかの大きいお地蔵さますらあります。
日本全国には数えきれないほどの地蔵尊がまつられていますが、大きなお堂の中にまつられていることはまれです。多くは石仏で、路傍の石仏といえば地蔵尊を意味するほどです。このためになおさらお地蔵さんがわれわれに親しみやすくなったわけで、
御地蔵と日向ぼこして鳴千鳥
花咲や道の曲りに立地蔵
春風や地蔵の膝の赤の飯
見物に地蔵も並ぶおどり哉
名月やおらが外にも立地蔵
などの一茶の句に、「路傍の石仏」のイメージと親近感がよくでています。
(二)
「お地蔵さん」と呼ばれて親しまれるこの仏は、実は菩薩(ぼさつ)なのです。文珠菩薩(もんじゅぼさつ)、弥勒菩薩(みろくぼさつ)、観音菩薩(かんのんぼさつ)などと並ぶ菩薩です。
菩薩というのは、自らさとりの完成に努力するとともに、他人を救い、その苦をとりのぞこうという大願をもった仏のことです。仏陀(釈迦牟尼如来 しゃかむににょらい)もかつては菩薩であられ、六波羅密(ろくはらみつ)というきびしい修行をされて仏陀になられたといわれています。波羅密というのは、「完成」という意味です。有名な「般若心経」にある「般若波羅密多」(「多」があっても同意)というのは、したがって「智慧の完成」という意味になるわけです。
さて、地蔵菩薩は、その像をみると、多くはそまつなつくりです。頭上には宝冠もなく、頭をまる<剃った形が多いでしょう。ご身体はたいてい衣と袈裟(けさ)をつけておられます。この形の仏像は「声聞(しょうもん)形」と呼ばれます。声聞というのは坊さんのことで、如来や菩薩からみるとその“レベル”は低いわけです。
この“レベル”について強いてランクをつければ、第一位は如来(修行を完成し、真理をあらわす人)。第二位は菩薩。そして第三位は縁覚(えんがく)です。縁覚というのは、ひとりひそかにさとりをひらいた人です。辟支払(びゃくしぶつ)ともいわれ、釈尊が人に教えをお説きになる以前に、一時この状態にあられたといわれます。これは大乗の菩薩道に対していわゆる上座部仏教(*1)の立場です。そして大乗の立場からは人を救うことを考えないことはよくないから、ランクは菩薩の次になってしまいました。そして第四位が声聞(出家修行中の人)です。
地蔵菩薩が菩薩でありながら、なぜ階級(といってもこの差は大きいのですが)下の声聞の姿をしているのか。経典によると「これは菩薩の行を内にかくして、外に声聞の姿をあらわし、衆生に親しみをつくるためである」といいます。いかめしい菩薩の姿では人々が近づきがたいであろうという思いやりなのでしょう。これを「外現声聞、内秘菩薩」などといっています。また「延命地蔵経」には、世の中のすべての人を救わんがため、延命地蔵菩薩は、仏、菩薩、辟支仏、声聞をはじめ、ありとあらゆる人の姿になり、また日、月、大地、大海などの形をも現ずると説かれています。よく「千体地蔵」がみられますが、これは地蔵菩薩が無数の分身に変化することをあらわしているのです。
(三)
この地蔵という名称はどこから起ったのでしょうか。まず地はこの大地の地です。そして蔵は「かくす」「おさめる」「とっておく」という意味がふくまれています。つまり地蔵というのは「大地の中にかくされているもの」ということです。
大地は生物をはじめ、建物とか、その匠かあらゆるものの下敷きとなって、しっかりとそれらを支えています。種をまけば芽を出し、葉がしげり、また美しい花を咲かせてくれるのも大地の力です。
また大地はあらゆるものを平等にあっかい、わけへだてをしません。しかも、雨が降っても石が落ちても、みなのみこんでしまうという大きな包容力をもっています。
この大地にかくされた偉大な仏の力、これを一個の「仏格」としてわれわれは礼拝するのです。地蔵菩薩の像は、わが国では平安時代の頃からつくられはじめたようです。同時に地蔵信仰もこの頃からさかんになりました。
地蔵信仰の起源を求めれば、それはやはりインドです。そしてインドから中国をへて、日本に伝来したのは、奈良時代のはじめ頃ではないかと考えられます。
日本に伝えられて一千二百年、この間おびただしい数の仏像になり、数えきれぬ人々の苦しみを救ってきたのがこの「庶民の仏さま」です。とくに、鎌倉時代以降は石仏の地蔵尊が多く作られるようになり、その信仰も、貴族から一般庶民のものになっていきました。名もなき人の手によって作られ、何百年も風雨にさらされた石の地蔵尊が、今でも庭の片すみや道ばたにがんばっておられるのがよくみられるではありませんか。
(四)
これら無数のお地蔵さまが、われわれにあたえられる御利益は、昔からいろいろ語り伝えられています。地蔵菩薩を本尊とするお寺に行くと、かならず「霊験記(れいげんき)」という書物があって、多くの人が救われた尊い体験が記されています。
人間はだれでもいろいろな苦しみや悩みをもっています。それらからのがれたい、楽になりたいと思わぬものはいません。また、こうなりたいという諸々の欲求もあります。これは生きている以上当然のことなのです。
経典には、地蔵菩薩がこれらの苦悩からひとびとを救い、欲求をかなえてくださると説かれ、これを現世利益といっています。しかし、ただむやみに現世利益ばかり願うのは正しい態度ではありません。
人が信仰に入る道の第一歩として、苦しみ悩みからのがれたい、願いごとを実現したいというようなことがあります。そしてそこから、宗教信仰の道を歩みはじめていくわけですが、いつまでもそこにウロウロしていてはいません。それでは「苦しい時の神だのみ」といわれてもしかたがありません。
地蔵菩薩の像には、右手に錫杖(しゃくじょう)、左手に宝珠(ほうじゅ)をもっておられるのが多いでしょう。右手の錫杖は、地蔵菩薩が、あらゆるところに遊行(ゆぎょう)し、これで諸々の悪を追いはらうためです。また左手の宝珠は、如意宝珠ともいいますが、これはひとびとのあらゆる願いごとがかなえられるという宝の珠です。しかし、この錫杖と宝珠も、地蔵菩薩が、ひとびとを正しい信仰に導びくための持ちものなのです。
地蔵菩薩の前に無心に手をあわせる。そこでわれわれは清らかな心になります。そして 一心に拝む人と、拝まれる仏との間に、心と心の結びつきができるような気がしてくるでしょう。
そこで仏が無言のうちにわれわれに何かを教えてくれ、われわれも冷静に自分自身をみつめるのです。
これはある女の人の話です。彼女にはある恋人があって、その人と結婚できたらどんなに幸わせだろうと思っていました。しかし、男性の方には一向にその気がないらしい。
彼女はある日、ふと地蔵尊がおまつりしてあるお寺に参詣しました。そして「どうかあの人と結婚させてください」と一心に祈ったのだそうです。そして何回もその地蔵尊の前に足をはこんでひたすら祈りつづけました。すると、心ならずも、その祈りの内容がいつしか変り「私はあの人と結婚できなくてもかまいません。そのかわり、あの人がどうか立派な人と結婚して、幸わせになるようにしてあげてください」と心の中で言っていたそうです。
それから、不思議に心が落ちつき、彼女の愛に冷静さが加わったのでしょうか。そしてその愛情の変化が、彼女の恋人に対してどのように表われたのか、私にはよく分りません。ただ、彼からの愛も大きく育ち、二人が半年後にめでたく結婚したことはたしかなことです。
また、これはあるお医者さんの話です。その人は外科医で、ある日たいへんむずかしい手術の執刀をすることになりました。成功率は半分ぐらい、トランプを上に投げて、表がでるか裏がでるかというところでした。その人は日頃信仰する仏さまに参詣して「私は今まで学んだ最善の技術をつくしますから、どうか手術を成功させてください」と一心に祈りつづけました。そして無事に手術の成功をおさめました。
この話に私は大へん感心したのです。現代の医学の発達はまさに驚異的です。そして、医者が仏に祈るなどということは、なにか妙なことだと感ずる人もあると思います。しかし、医学がどんなに発達しようとも、人間の技術のおよぶところはつねに九十九パーセントまでで、のこりの一パーセントが神仏の支配する領域です。いかなる学問でも技術でも、人間が百パーセントきわめることはできないのです。
われわれが神や仏に祈る。その祈りは必らず自分自身の反省になってかえってきます。そして反省がまた祈りになって、そこに神仏と自分との交流が起り、われわれはそれによって自己正しく生きる道を知るのです。
(五)
地蔵菩薩は現世の利益(りやく)だけでなく、また死んだ人をも救済するといわれます。死者の冥福(めいふく)と救済を祈って地蔵尊をおまつりすることが多いのはこの理由によるのです。
人が死ぬと仏さまが住み蓮の花が咲きみだれる極楽へ行くか、あるいはエンマ大王が住み苦しみだらけの地獄へ行くか、どちらかであると考えている人もいるでしょう。
人間だれでもいつかは死ぬのですが、死ねばみなと別れ、さびしい一人旅に出なければなりません。そして最初の七日目に、前方に「三途の川」(さんず)を見ます。流れがゆるやかな川と、急な川と、そしてとても渡れそうもない滝のような川とです。前世で善いことをしていればゆるやかな川、悪いことばかりしていた人はこの滝のような川を渡らせられるといわれます。
この三途の川の河原が有名な「賽(さい)の河原」です。こどもが死ぬと、この賽の河原で遊ぶといわれています。幼くして死に、父母への恩をかえしていない罰として、鬼たちがこどもに石を積んで塔を作れと命ずるのです。
一重積んでは父のため
二重積んでは母様と
三重積んではふる里の
兄弟我が身と回向(えこう)する
と「地蔵和讃(じぞうわさん)」は詠(うた)っています。せっかくこどもたちが苦労して積んだ石も鬼たちにくずされたり、いじわるをされる。そこへ地蔵菩薩があらわれ、鬼を追いはらってくれるという信仰が古くからあるのはよく知られているところです。昔はこどもをなくした母親が多かったわけですが、この地蔵信仰が、涙のかわく日もない母親の心を、どれほど和らげたか、はかりしれません。
さて、いずれにしても人間が死んで四十九日の間に、次に住む世界が決まるといいます。極楽に行けなかった人は六道といって、地獄、餓鬼(貧欲)、畜生(愚痴)、修羅(闘争)、人間(迷い)、天上(楽)の六つの世界に転生するという。
しかし、ここにも地蔵菩薩が遊行されて、苦しみをとりのぞいてくれると説かれています。
ともあれわれわれは、かぎりあるこの生を精一杯生きて世のため人のためにつくし、死後のことはすべて仏におまかせすることにしなくてはならない。これこそ菩薩がみずから教えておられる道なのです。(おわり)
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【解説】
髙岩寺先代住職・来馬規雄師の随筆です。
携帯電話もパソコンもインターネットもない、昭和50年代の著作ですが、今を生きるみなさまの地蔵信仰をたすけ、仏道を歩む一助になれば幸いです。
【註】
読みにくい漢字には、サイト掲載時にカッコ付きで読み仮名を加えたところがあります。
*1 原文の「小乗仏教」は「上座部仏教」にあらためています。
(2023年9月2日公開)